家庭教師かわむら
不登校だった卒業生の声
中学生のあいだ不登校だった卒業生が、当時のことを振り返って文章を書いてくれました。
家庭教師として関わり始めたのは、中学2年生の4月です。当初は、小学校卒業程度の学力でしたが、そこから段階的に伸ばしていきました。
その後、難関私立高校への進学を経て、京都大学へ進学しています。
以下は、本人の言葉をそのまま掲載したものです。
不登校から京大合格までの記録
中1から不登校だった私が、川村先生と勉強を始めて、須磨学園に合格し、その後京大に進学するまでの記録です。同じように不登校で悩んでいる人や、その保護者の方の参考になればと思って書きました。
中1のころ
中1のときから学校に行けなくなり、家でゲームをして過ごしていました。表面上は淡々と日々を過ごしているように見えたかもしれませんが、心の中では将来への漠然とした不安が積もっていました。
死ぬ気があったわけではありません。ただ、なんとなく不安で、でも痛いのは嫌だから実行はしないだろうと思いながら、死ぬ方法を考えることはありました。それくらい、先が見えない閉塞感がありました。
学校にはしばらく行っていなかったので、今さら復帰するのは無理だと思っていました。気まずいし、どう戻ればいいのかもわかりませんでした。
中2の初め
中2の初めに、母が家庭教師の先生を連れてきました。正直、まったく乗り気ではなく、体験のときも「これは無理だな、断ろう」と思っていました。
それでも、帰り際の「もう一度会えることを楽しみにしています」という言葉がなぜか心に残りました。一度は断ったのですが、その言葉が引っかかって、もう一度だけ会ってみようと思い、2回目の約束を取り付けました。
ありがたかったのは、先生が「短期のお試し」のような空気を出してくれたことです。
やめようと思えばやめられる、無理なら無理でいい。最初から重い覚悟や決意を求められていたら、おそらく続かなかったと思います。
実際、最初の頃はかなりひどかったと思います。寝ていて先生をオートロックの外に締め出してしまうこともありましたし、無断欠席することもありました。それでも先生は責めませんでした。
休むことについても、先生は現実的でした。「休んでいい。ただ、仮病はいらない」と言われました。しんどいから休む、めんどくさいから休む、それでいい。休むなら罪悪感を持たずにちゃんと休む。でも、ちゃんと再開しよう、という考え方でした。
休むこと自体は認めたうえで、戻るためのルールも作られていました。1回の休みは自分からの連絡でOK、連続で休む場合は親経由で連絡する、というルールです。
週3回の予定が実際には週2回くらいになりましたが、完全には切れずに続けられました。
この「休んでもいいけど、再開する」という設計は、自分に合っていたと思います。
もう一つ、最初の頃から言われていて印象に残っている言葉があります。
親にちゃんと甘えること
当時の私は、不登校であることや家庭教師をお願いしてもらっていることに、どこか申し訳なさを感じていました。けれど先生は、家庭教師をお願いできる環境があって、力を貸してくれる母がいるのだから、そこにはちゃんと甘えていいのだと言ってくれました。
母子家庭だったので、この文章では主に母のことを書いています。母が積極的に勉強の話題を出してこなかったことにも、とても助けられました。私から話せばちゃんと聞いてくれましたが、母の方から成績や勉強について触れられた記憶はあまりありません。
以前は、学校に行っていないことへの罪悪感が日々どこかにありました。けれど勉強を始めてからは、自分なりにやることをやっていると思えるようになり、その罪悪感が少し減りました。
勉強を始めること自体も、先生が来るのでやらざるを得ませんでした。一人だったら絶対にやっていなかったと思います。始めてしまえば1〜2時間勉強すること自体は大したことではないのですが、一人だと始められなかったため、先生が来ることで強制的に始まるこの仕組みに助けられました。
中2の中盤
実際に授業が始まると、先生に不登校生への手加減などはありませんでした。
笑っちゃうくらいちゃんと勉強させられました。優しく何でも肯定するというより、
できていないところはかなりはっきり言うタイプです。
計算が遅いこと、解き方が上手くないことを指摘されることも多くありました。でも、不思議とそれを嫌だとは感じませんでした。責めているのではなく、上達させるために言っているのが伝わったからです。「遅い」で終わらせるのではなく、速くなるように一緒に訓練し、上達のための具体的なアイデアも提案してくれました。
一方で、上手くできたときには、それもきちんと伝えてくれました。「何分早くなった」
「ここの発想が上手い」というように、具体的に反応がありました。
無条件に褒めるのでも、ダメ出しだけでもなく、できていないこともできるようになったことも、どちらも正直に言われる。ちゃんと見たうえでのフィードバックだと思えました。
中2の夏〜冬
勉強は学校の進度にはまったく合わせず、先生が私の状態に合わせて必要なところから順番に進めていきました。
最初は数学だけに絞っていました。あれもこれもやらされる感じがなく、問題集も薄いものを使うことが多かったので、自然と進められました。
中2の8月ごろからは、英語も並行して始めました。数学は少しできるようになってきていましたが、新しい教科が増えるのはしんどかったです。
ただ、先生は最初に英語の構造を丁寧に教えてくれました。そのおかげで、感覚や丸暗記ではなく、ルールのある数学の代入のような要領で文を組み立てられることがわかり、少しずつ習得できるようになりました。
とはいえ、英語は暗記する量が多く、一人で単語や文法を進めるのは最初の私には無理でした。そこで先生は、短期間で集中的に来て、英語の基礎を一気に通してくれました。単語も文法も、宿題として一人でやるのではなく、その場で横についてもらいながら進めました。
問題集1冊につき2週間ほど毎日来てもらって、一気に終わらせました。自分の意志で少しずつ積み上げたというより、先生に無理やり進めてもらった感覚です。
この短期集中の後は、一気に楽になりました。英語の基礎ができたことで、その後は英語も数学もわりと自主的にできるようになっていきました。最初から自走できたわけではなく、伴走してもらい、強制的に進めてもらった結果として、自分で進める土台ができたのだと思います。
数学は中2の12月に中学範囲が終わりました。つい最近まで小学校卒業程度の内容をやっていた感覚だったので、あまり実感はありませんでした。
その後、先生に「数学だけ模試を受けてみないか」と言われました。母もそれを「お金の無駄」とは言わず受けさせてくれました。結果、駿台模試で数学の偏差値が63でした。当時はそれがどのくらいの評価なのかよくわかっていませんでしたが、この数字が出たことは、なんとなく自信になりました。
ちなみに、本当に数学だけ受けて帰りました。
中3
中2の終わりには、英語と数学の両方とも中学範囲が終わっていたため、中3ではひたすら過去問をやりました。私立受験だったこともあり、勉強はほとんど英語と数学に絞っていました。国語は入試前に少しだけやった程度です。
3年生のときには模試でも常に偏差値68〜75が出るようになっていました。受験期にも心にかなり余裕があり、勉強に対する大きなストレスもありませんでした。
高校受験では須磨学園を志望していました。学力面ではかなり準備が整っていて、過去問でも高得点が取れていました。それでも11月頃になると急に不安になり、
安全な選択肢に志望校を変えようとしたことがあります。
結果としては志望校は変えず、須磨学園を受けることにしました。
そのとき、母が言ってくれた言葉が決め手でした。
落ちたら落ちたで、それでいいよ
学力面では先生に積み上げてもらった安心があり、結果については母から「どうなっても大丈夫」と言ってもらえた。この両方があったから、最終的に須磨学園を受験できたのだと思います。
結果、須磨学園に合格することができました。
エピローグ:その後の高校生活と京大合格
高校に入ってからは、学校生活には復帰していました。なので、ここから先は不登校の話ではありません。また、京大入試の話を詳しく書くと、本格的な受験勉強の話になってしまい、この文章の目的から少し外れてしまいます。
そのため、書きたい気持ちをグッと抑え、ここではほんの少しだけ合格前後の話を書こうと思います。
京大入試が近づく頃には、先生とは「教わる」というより、一緒に演習して検討するような時間が増えていました。最初は不登校で人と会うことにすら前向きではなかった自分が、最後はそういう形で勉強できるようになっていました。
京大に受かったときも、ものすごく劇的な感じではありませんでした。
先生には「受かったっす」と伝え、先生からは「まあそうだよね。おめでとう。」
と返ってきました。中2から少しずつ準備してきたので、大きな奇跡というより、積み上げてきた結果だったのだと思います。
そのあと、先生は焼肉をおごってくれました。
振り返って
今思うと、自分には「ものすごくしんどかった受験期」がありませんでした。
中2の段階で学力の土台を作ってもらい、先に進む感覚が身についていたからだと思います。
- しんどくなる前に準備すること
- 周りより少し先に進んでおくこと
- できないことは、やっていないからできないだけだと考えること
- 一人で無理なら、できる人に強制的にすすめてもらうこと
- 休むならちゃんと休んで、また再開すること
そういう感覚を、先生との時間の中で自然に身につけていきました。
たまに先生とボウリングに行くこともありました。先生はめちゃくちゃ上手く、私は毎回ボコボコにされていました。勉強だけではなく、自然に人と関わったり、外に出たりするきっかけにもなっていたと思います。
今、悩んでいる人と保護者の方へ
最初から本人が強い意志を持っていなくても、進められるというのは伝えたいです。
自分は最初からやる気に満ちていたわけではありません。一人で勉強する力があったわけでもありません。むしろ一人だったら絶対にやっていなかったと思います。
それでも、外から強制的に始められる環境があったことで、少しずつ進めるようになりました。
不登校の状態から何かを始めるときに、本人の意志だけに頼るのはかなり難しいと思います。やる気が出るのを待つよりも、無理のない形で始まってしまう仕組みや、休んでも戻れる関係があることの方が、自分には大きかったです。
保護者の方に向けて言うなら、最初から本人に強い覚悟を求めすぎなくてもいいのかもしれません。
動き出せない時期には、本人もどうすればいいかわかっていないことがあります。責めるよりも、完全に止まらない環境を一緒に作ることが、後から大きな差になることもあると思います。
最初は不登校で学校に戻るのも無理だと思っていた自分が、須磨学園に合格し、最終的には京大に進学するところまで行きました。これは、自分が特別に強かったからというより、そういう環境を作ってもらえたからだと思っています。